新田瑛のブログ2

思いつきで書いてます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このページのトップへ

テレビでの話

とある情報番組にて。イギリスで行われる歌のコンクールの話題。

  「いよいよ決勝大会が日本時間で5時間後に行われます」

イギリスでは時間の進み方が違うんでしょうか……?
スポンサーサイト

テーマ:時事ニュース - ジャンル:ニュース

このページのトップへ

ある形容詞・形容動詞について(3)

実は、この2つの特徴を持つ語は他にもあるのです。「華やか(だ)」「爽やか(だ)」「穏やか(だ)」などの形容動詞です。おそらく先の2語はこれらの形容動詞に引っ張られる形で形容動詞化したのではないでしょうか。 【“ある形容詞・形容動詞について(3)”の続きを読む】

テーマ:ことば - ジャンル:学問・文化・芸術

このページのトップへ

ある形容詞・形容動詞について(2)

 上では共有する語を2例挙げましたが、実は十分に一般的であると私が認めるものはこの2種しかありません。他にほぼ許容できる例としては、(細かい・細かだ)(真っ白い・真っ白だ)などがあります。
 ではなぜ、数ある語の中で「暖か」「柔らか」が2種類の語尾を取るか、ということについて推察してみます。
 歴史的にみて、一般的に形容詞が形容動詞より古くからあると思われます。(この点に関しては調査不十分ですが。)ですから、始めは「暖かい」「柔らかい」という形容詞のみがあったと考えられます。その後、語幹が転用されて「暖かだ」「柔らかだ」が使われるようになったのでしょう。
 ここでこの2語「暖か」「柔らか」の共通点として次のことが挙げられます。
 (1)4音節(い/だ、を含めると5音節)である
 (2)語尾が-aka(更にいうと-a-a-aka)

テーマ:ことば - ジャンル:学問・文化・芸術

このページのトップへ

ある形容詞・形容動詞について(1)


ひょっとして専門家さんにとっては当たり前かもしれません。あるいはそもそもウソッパチかも。

 日本語には状態を表す活用語として、形容詞・形容動詞の2種類があります。そしてその多くは語尾を換えただけで形容詞・形容動詞の両方に用いられるということはありませんが、わずかながらどちらにも用いられるものがあります。言い換えれば、語幹を共有する形容詞・形容動詞があるということです。
(どちらにも用いられる語の例)
 暖かい - 暖かだ
 柔らかい- 柔らかだ
(一方にのみ用いられる語の例)
 ○甘い   ×甘だ
 ×元気い  ○元気だ               

(次回に続く)

テーマ:ことば - ジャンル:学問・文化・芸術

このページのトップへ

流行語大賞結果発表

『現代用語の基礎知識』選ユーキャン新語・流行語大賞が発表されました。

トップテン大賞
◆イナバウアー
◆品格

私の予想結果は(8/7記事参照)……
イナバウアーは本命過ぎて自慢になりませんわな。「国家の品格」はチェック入れたんだけど、ここから「品格」が取り出されて流行っていたとは……うーん思えない。
てなわけでイマイチな結果でした。せめてもの救いは、「エロカッコイイ(エロカワイイ)」の”2語セット受賞”を当てたことぐらいですか。

テーマ:時事ニュース - ジャンル:ニュース

このページのトップへ

日本一早い(ウソ)流行語大賞予想

 正確には、「『現代用語の基礎知識』選ユーキャン新語・流行語大賞」トップテン入賞語を予想するコーナー(長い)です。

2006年8月上旬現在……
 ○イナバウアー
    鉄板でしょう。
 ○武勇伝
    お笑い関係からはこれかなと。
 ○格差社会
    社会問題系から。
 ○ですよね~
    私の予想イチ押し。
 ○生協の白石さん
    「流行語」ではないと思うが、毎年そういうのは入る。

次点候補はこちら。
【“日本一早い(ウソ)流行語大賞予想”の続きを読む】

テーマ:ことば - ジャンル:学問・文化・芸術

このページのトップへ

梅雨

舞台は東京。

タイ人:「毎日雨ですね」
日本人:「梅雨ですからね」
タイ人:「ツユ? 何ですかそれは」
日本人:「6月から7月は雨の季節なんですよ。それが梅雨です。」
タイ人:「ああ、わかりました」
日本人:「タイにも梅雨はありますか?」
タイ人:「ありますね。5月から10月はツユです。」
日本人:「それは梅雨ではありませんね」
タイ人:「ツユではありませんか」
日本人:「それは雨季といいます。タイには梅雨はありますか?」

テーマ:ことば - ジャンル:学問・文化・芸術

このページのトップへ

風邪気味

 ある日、転校生がやってきた。
「鈴木です。よろしく」
 しかし、鈴木は組織に属する悪いヤツだった。鈴木は皆に攻撃を仕掛けた。
「お前を風邪気味にしてやる!」
 クラスメートは次々と風邪気味になっていった。そこへ正義感のある佐藤が現れた。
「鈴木。皆を風邪気味にするのはやめろ」
「わかった」
 こうしてまた平和な日々が訪れたのであった。


このページのトップへ

刑罰について(4)

最終回です。

<注意> きちんとした考察ではありません

 それは、一度付帯された年限は出所後もリセットされない、ということです。たとえば猶予10年を言い渡された者が3年で出所した場合、その者の猶予は7年で一時停止されます。再び罪を犯した場合、猶予7年ないしはそれ以下での開始となります。(ごく軽い犯罪であれば7年から、重ければそれ未満に下げられるということです。)これならば、食うに困ったからといって万引きでもして刑務所へ、というような発想が浮かぶことはないでしょう。
 もう一つ例を挙げます。ある人が強盗殺人事件を起こしたとします。現在で言えば無期懲役程度でしょうが、新システムで猶予3年という判決が下ったとします。もし(考えにくいことですが)その者が2年で「改心」して釈放されたとしても、その後再び罪を犯して服役したならば、その罪の大小に関わらず1年後には猶予が終わります。つまり死刑です。これなら被害者や近隣住民も少しは安心できるのではないでしょうか。
 詳細については色々と不備があるでしょう。出所までの最低年限を決めることなども必要かもしれません。しかしながら、死刑制度を認めるという前提であれば、さまざまな問題を一度に解決しうるすばらしい制度だと思うわけですが、いかがでしょうか。
このページのトップへ

刑罰について(3)


<注意> きちんとした考察ではありません

 新システムでは犯罪者に対し、「死刑までの期間」を与えます。これを「猶予○年」という表すことにします。(現在の執行猶予とは異なります。) 「猶予10年」は「10年後には死刑」ということになります。同時に懲役刑が科され、服役します。優良な態度で服役を続け、罪を悔い改めたと認められた段階で、死刑への時限は停止し釈放されます。
 与えられる「猶予年限」は、犯した罪が重ければ短く、軽ければ長くなります。猶予0年=死刑、となります。どんな軽い罪でも時限が停止しない限り死刑になりえるのですから気楽な考えではいられません。重い罪を犯した人はまさしく必死の思いで服役しなければならないでしょう。本当の意味で改心したかどうかを見極める方法については課題が残りますが、精神医学や法学の専門家による審査により可能であると期待します。
 そしてこの新制度においてもう一点、再犯抑制に欠かせない重要な要素があります。
このページのトップへ

刑罰について(2)


<注意> きちんとした考察ではありません

 あらためて現代の日本における刑罰制度の問題点を挙げてみます。
  1.罪を犯すことへの恐怖感が希薄である
  2.改心することなく懲役刑を終え、再び犯罪を犯す
これらの解決方法ついて考察し、更に
  3.死刑のあり方
にも触れてみます。あらかじめ言っておきますが、これから提案するものは現在のシステムとまったく異なるため、抵抗感があるかも知れません。様々な問題点もあるでしょう。それらを恐れず話を進めていきます。
 今回提案するのはまさしく「逆転の発想」です。現在のシステムでは、一度懲役刑が確定するとその年限が大幅に延びることは少ないようです。つまり、○年我慢すれば出られる、という考えが成り立ちます。無期懲役でも同じです。このことが懲役に対する安心感というか、気楽な考えを起こさせてしまうと考えられます。今回の提案ではこれを払拭します。
このページのトップへ

刑罰について(1)

初の連載です。

<注意> きちんとした考察ではありません

 残念なことに犯罪というものが社会から無くなることはないようです。そこでその抑制のために、社会は刑罰という制度を設けています。現在の日本における刑罰は、大別して死刑、懲役(禁固・拘留)刑、罰金(科料)刑の3種類が定められていますが、死刑の是非を始めとしてこれらのあり方に関する議論は絶えません。
 刑罰は犯罪者への懲戒だけが目的ではなく、二度と犯罪を起こさないことを理想として教育を行い社会に復帰させることや、罪を犯そうとする者に対する威嚇の意味もあるでしょう。しかしながら現在の日本の刑罰、特に懲役刑がこれらの目的を十分に果たしているとは言い難いようです。万引きや暴行に罪の意識を持たない少年、職を失い食住を求めて刑務所に入りたがる大人等々がそれを物語っています。
 このことを解決するのは容易ではないでしょう。刑罰の制度の根本に関わってくる可能性もあります。これから考えるのは死刑・懲役刑のあり方についての一つの可能性です。
 なお、少年に刑を与えるべきかどうかについてはここでは採り上げないことにします。
このページのトップへ

この世の仕組み

善と悪はつねに表裏一体、すなわち世の中を一枚の板とすると、表が善、裏が悪ということである。
現実社会においてはこれらが渾然としている。それは「世の中」という板が極めて薄いからである。したがって表から見ると裏が透けて見え,裏から見ると表が透けて見える。
それゆえ「世の中」の住人である私たちは、いつも善悪の判断に迷う。善に見えるものであっても、それは悪が裏から透けて見えているだけかもしれない。幾度も判断を間違えながら、私たちは善悪の見極め方を学び取ってゆく。
そのとき決してしてはいけないことがひとつある。善と悪の中間、すなわち曖昧な立場から物事を見ることだ。
板は極めて薄い。真横から見たのでは全く何も見えないのである。


このページのトップへ

『或る男の悲劇』

 貧しい男がいた。男は人づてに、牛の舌を焼いたものが大層美味であるという話を聞き、それが食べたくて我慢ならなくなった。
 だが男がそれを口にするにはあまりに高価であった。悩み果てた男は知恵を絞り、こう考えた。

「人間の舌も牛の舌と同じように美味いのではないか。人間ならそこいらじゅうに歩いている。」

 しかし心優しいこの男には人を襲うことなどできなかった。男は出会う人出会う人になりふり構わず尋ねてまわった。

「わたしは舌を食べてみたいのです。どうかあなたの舌を食べさせてくれないか。」

 もちろん自らの舌をくれる者などいるはずもない。それでも男は諦め切れなかった。最早取り憑かれていると言ってもよかった。

 男は最後の手段に出た。自分の舌を切り取り、それを焼いた。次第に香ばしい香りが漂ってきた。いい頃合だ。男はそれを口に入れた。
 男にはそれを味わうための舌は無かった。


このページのトップへ

FC2Ad

プロフィール

新田瑛

Author:新田瑛
FC2ブログへようこそ!

FC2カウンター

旧ページ1500+

blogram

blogram投票ボタン

最近のコメント

最近の記事

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
小説・文学
3523位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]

230位
アクセスランキングを見る>>

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。